ファッションにおける外しというエクスキューズ

ここにYAECAのセットアップがある(パンツは出すのがめんどくて写メってない)
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買ったのは確か三月の終わり頃だったと思う。
都内でのバイト終わりに白金台へ向かい、高級住宅街に辟易しながらもYAECA HOME STOREでゲットした、という次第である。
そもそもなぜこのセットアップが欲しくなったのかといえば、フイナムアンプラグドという雑誌のコーディネートが強烈にカッコ良かったから。
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このセットアップ、YAECAにおける定番”2way”というシリーズらしく、スタッフさんの話によると「ビジネス用にも普段着にも」というその名の通り”2way”に使える代物だとか。
この雑誌の特集は、スーツのセットアップと白スニーカー合わせたらヒップじゃね?みたいな感じで、いわゆるオールドスクール系のスニーカーをスーツに合わせて、その外しを楽しんでいる。
外しとはいうものの、最近はモード界でもメゾンブランドが積極的にスーツ×スニーカーを提案していて、もはや定番になっちゃってるキライはあるけれど。

www.fashionsnap.com

で、まあ、いまスーツ×スニーカーが定番かどうかなんてどうでもよくて、ドレスコードとしてはスーツ×スニーカーは明らかにイリーガルで、傍流であることは間違いなく、外しであることもまた疑いようがない。

定番のスタイルからの外しというわけではなく、「既存の常識」からの外しといった意味で、スーツ×スニーカーは機能している。

 

ファッションに外しを取り入れるとき、外さないスタイル、すなわち主流を理解していることが肝要であると思う。

例えば今回に関していえば、一応スーツのセットアップなんだから中はシャツ、足元は革靴、がシンプルに主流だ。

ぼくはスニーカーならそれなりの数持ってるものの、こと革靴に関してはほとんど持ち駒がない。

ドレス度の高いシャツも持ってない。

つまり、ぼくは「あえて」とか「外し」でスーツにスニーカーを合わせるスタイルに惹かれたけれど、その実、合わせるための”本物”を持っていないから、必然的に外すしかないのである。

主流を知らない・持っていないひとが行う外しは、エクスキューズ、言い訳だ。

「これは外しだからね、オシャレでしょ!」という言葉は、持たざる者の言い訳に過ぎない。

ファッションは自由だから何着たっていいじゃんって意見もあるけれど、それなら敢えて「これは外しだからね、オシャレでしょ!」って傷つかないための予防線を張るんじゃなくて、持たざる者は持たざる者なりに、ステキなものを持ち合わせてないからスニーカー履くしかなかったんだ、と惨めに認めるべきだ。

何より主流を理解していなければ、自分のコーディネートとメインストリームとの差の絶対値をうまく掴めず、なんだか的外れな格好をしてしまうことになりかねない。

と、ぼくは上記のように考えたので、未だにYAECAのセットアップはクローゼットに収納したままで、一度も袖を通していない。

競馬で一山当てたら”主流”を一式揃えて、悪魔的にカッコ良いスーツスタイルをキメようと目論んでいます。

待ってろ日本ダービー

 

蛇足までに。 

ぼくたち若者世代はおおきなものがたり(要出典)が消失したあとのセカイに産まれてきて、「サンプリングとエディットであらゆる領域を再定義した」リミックス世代の寵児なので、価値観の相反するものをハロハロすることに抵抗がない。

今回のスーツの話にしたって外しをすんなり受け入れられるのも、ぼくたち世代特有の感性なのかなって思ったり思わなかったり。