分解して考えるファッション

ものごとを分解して考える力いわゆる分解能があまりにも欠如していてそのせいですべてにおいて小さくまとまった人間になってしまったのだと思う。

なにごとにおいても分解能に秀でた者がプロフェッショナルになるのが世の常であり凡人の分解能しか持たぬ者はどう足掻いてもアマチュアの域を脱することができない。

だからぼくは氷菓福部里志が自称するところの「データベース」を目指そうと思うし(この言い方だと語弊がある、「目指そうと思う」のではなく「目指すしかない」のである)「データベースは答えを出せないからね」という彼の言葉はあまりに深くぼくの心に突き刺さる。

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 ぼくの心を突き刺した福部里志くんご尊顔 なかなか腹立たしい顔をしている

 

ぼくはものごとを総体で捉えることしかできない。

「総体は個の集合体である」ということに意識的に目を向けてもなかなかそのイメージを掴むことができない。

例えばだけれど銀座で寿司食ってるとき。

例えばだけれどオイラーの公式を目にしたとき。

例えばだけれどラフシモンズのコレクションを観賞したとき。

ぼくはきっと当たり障りのない感想を述べることしかできないけれど、高性能な分解能を持つ者ならばこの脂身と甘みが云々!とか指数関数と三角関数に相関があるなんて!とかワイドパンツのこのシルエットが美しい!とか、細部に宿る美を見出すことができる。(なんだかお粗末な感想に見えるのは分解能落伍者たるぼくが想像で書いているからです)

総体の美しさしか分からないひとのファッションは退屈だ。

「調和的な」総体の美しさを捉えることができるのなら話は別だが、往々にして中途半端に個を捉えようとして、失敗してしまう。

 

分解能の精度は検索力とも正比例する。

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これは「G-1」と呼ばれるフライトジャケット(をオマージュして作られたもの)であるがもし仮にこの製品の名称を知らなかったとしてあなたはGoogle検索窓に何と打ち込むだろうか。

ぼくはついこの間とある理由からコイツの名前を調べる必要に迫られて、ウーンウーンと唸った挙句「MA-1 ボア付き」と調べてみたり(B-15とかいうフライトジャケットがめちゃ検索にかかった)色々してみたのだけど、結局名前を知ることは能わず。(数日後、教養深い知人が答えを教えてくれた)

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ヘルメット被んのに邪魔じゃねっつってB-15からボアむしり取った歴史的経緯によりMA-1は誕生した

 

きっと優れた分解能を持つ者なら「MA-1」要素のひとつである「フライトジャケット」から検索キーワードを発展させてゆき、「フライトジャケット フラップポケット ボア」とかそんな感じの検索をして最適解を得るのだろう。

ぼくはMA-1がフライトジャケットであることは知っていたのだけどMA-1という総体(=MA-1そのもの)を意識することしかできないので、これがいわゆるデータベース型人間のウィークポイントであるなあとつくづく感じた。 

ちなみにG-1ジャケットはデンジャゾーン!でお馴染みトップガントムクルーズが着てたやつ。

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この顔である

 

音楽を聴いてるとき。

美しい服をみたとき。

どんなものであれ、クリティカルにぼくの心を惹きつけるコンテンツはひとつもない。

どれもすべて良く見えるし、どれもすべて悪く見える。

コレクション・ブランドに対する評価もほとんどがデータベース(頭)に蓄えた知識(他者の言説)に依存して述べた感想に過ぎなくて、擬・分解能とでも呼ぼうか、そういったニセモノの能力を以てその場しのぎの論評を述べているにすぎない。

コートがセンターベントでなくサイドベンツであることにワクワクするひと、トリプルステッチに心をときめかせるひと、そういった感性を持つ人種にどうしようもなく憧れる。

 

分解能を後天的にアップグレードするためには、たぶんだけれど自分の与り知らぬ世界に足を踏み出すことが肝要なのだと思う。

スキニーばかり穿いているひとは思い切ってタック入りの極太スラックスに足を通してみればいい。

そうすればスキニーとスラックスの差の絶対値を意識することができるので、分解能の精度は上昇する。

あるいは、トレンドを追いかけるのをやめて(適度なトレンドっぽさは大事だけれど)、自分のセンスだけで服と向き合ってみるとか。

MA-1も最近トレンド筆頭だったけれど、トレンドとしてのMA-1、雑誌でみるMA-1は、「MA-1そのもの」を意識させることしかなく、分解能を鈍らせる。

トレンドを意識しつつMA-1を買おうと思い立ってショッピングにでかけても、「各ブランドのMA-1同士を比べること」ばかりに目がゆき、MA-1自体を分解して考えることは決してないだろう。

トレンド越しにみるMA-1は分解することができない、単一の細胞としてのMA-1にすぎない。

ファッション雑誌に踊らされるな。(ぼくはよく踊っています)

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そういえば、最近50年代のチェスターフィールドコートをJANTIQUESで買ったのだけれど、カシミヤ混のその素材はあまりに触り心地が良くて、今まで持っていたどのアウターとも違っていて、とても気に入った。

素材の良さは(写真などの)メディアでの再現性に乏しい。

メディアでの再現性に乏しいものを実際に見ることで、例えば今回の例で言うならば少なくとも「素材」と「服」そのものを分離して考える眼が養われ、分解能は成長した。(ような気がする)

分解能の育て方は色々あるっぽい。

 

分解能は人生を豊かにする。

音楽にしろファッションにしろ食にしろ、分解して考えた方が圧倒的に情報が膨大で、深い。

キラーチューンばかりで満足していてはいけない。

 

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