大学生活終わるので革靴買う
およそ大学生らしいことを何もなさぬまま大学生活が終わろうとし
大学生活の四年間は矢のごとく過ぎていくとよく言うけれど、
反省なんてついぞしてこなかったぼくだけれど、
スマン俺。
もっと有意義な大学生活を送らせてやりたかった。
きっと“正しい大学生活の送りかた”はあるのだ。
モーセやキリストのように鋭敏なセンサーを持つ選ばれし大学生は“正しい大学生活の送りかた”なる天啓を受信し、
一方ぼくが四年間で得たものはニコチンで薄汚れた肺と少し早くな
言ったそばから矛盾したことを言ってしまうけれど、
やばいなあ、もっと何かやらなきゃなあ、でも今日はいっか、
そんな気分。
何がいけなかったのか?
何が足りなかったのか?
ぼくに足りなかったものは“行動力”の一言に集約されている。
行動を起こしたものが勝者となる。
ボケッと見上げていても空から少女は降ってこない。
この悲劇を繰り返してはならない。
すべての新入生が行動を起こし、
ということで卒業式が間近に迫っている。
革靴が必要になった。
特に熱意もないのに大学院に進学するぼくはサラリーマンへの猶予
着ていくセットアップもGANRYUのアンコンジャケットだし。
少し前にハインリッヒディンケラッカーへの食指がニョロニョロと
懇意にしているヴィンテージショップでドンピシャなものを見つけ即購入した。
GUCCIのホースビットローファー。
リーバイスの501であるとかグローバーオールのダッフルコート
GUCCIのコイツもご存知の通りホースビットローファーのオリ
タコを初めて喰らった人もそうだけどローファーに馬具を取り付け
意味がわからないけれど、
デカルトが言うように、人間理性は神の派出所であり「
そうでなければタコを食おうとは思わないし況やナマコをや。
イタリアンシューズといえばセクシーなイメージだが無骨な
ドクターマーチン、或いはパラブーツ感覚で履けそうな。
フレッド・バステアが“パリの恋人”で履いてたって聞いてもピンとこないけれど“クレイマー、クレイマー”のダスティン・ホフマンの着こなしならはるか昔にみた記憶がある。
卒業式のみならず大切に使ってやりたいものだ。
おわり。