今年買ったものから見えてくる来年の目標とか

「何かしなければならない」という感じの漠然とした焦燥感に駆られるのが大学生の本質であってこの衝動からはいかなる大学生も逃れることができないが、一方で“「何かしなければならない」という感じの漠然とした焦燥感”を感じないほどに充実した日々はヒトに文化的な死を与える。

君が文化的な死を迎えたとき、この文章を見返してほしい。

日々に充実してはならない。

充実しないことは、一種の向上心だ。

なぜなら現実に甘んじることなく、目線は常に水平面より上を向いている。

文化的な死とは、人生に対する深い思索をすることなく、与えられた日常の速度を慣性で生きている動物の状態である。

人生が楽しいと感じ始めたら、それは危ない。

君の文化的な死が近づいている。

脳を思考停止の毒で汚染するスマートフォンやパーソナル・コンピュータは、ベランダから投げ捨てなくてはならない。

これらはハイパーリンクを通して、永遠に享楽を提供し続け、私たちから考える力を奪ってゆく。

そして私たちは文化的な死を迎えるのだ。

だが、恐れることなかれ。

肉体的な死は不可逆だが、文化的な死は乗り越えられる。

ただ、常に、“意味”を問い続ければ良いのだ。

 

 

とまあ気持ち悪い書き出しで始まってしまったわけですがバイト卒論に追われ日々六方最密充填構造状態、ウェルカムトゥ文化的な死だし自戒の意を込めブログ更新しつつ来年の抱負をば。

唐突に、今年買った数本のパンツ。

 

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アンリアレイジのワイドショート・チノパンツ/nisicaのストライプ・コットンパンツ/GANRYUのサルエルジーンズ/Leeのタック入りジーンズ(vintage)/オムプリッセ イッセイミヤケのパンツ(写真には載せてない)/以下略

 

「ア!このひとものごとに関してすごい深く考えてそうだからすごい」みたいな雰囲気持ったひとっているじゃないですかぼくはああいうひとになりたいわけです。

そういう雰囲気を知性と呼ぶとして、本来なら知性は教養が表出した結果なのですが過程を端折って上っ面の知性をひけらかしたい場合ファッションはうってつけで、ただそれっぽい格好をして気難しげな哲学者の顔をすれば誰でもインスタントに知性を演じることができます。

それっぽい格好とはどんな格好なのか。

上で列挙したパンツを穿いたときもっとも「いまぼく知性かもしだしてる!」と思えるのがオムプリッセで「いまぼく知性かもしだしてない!」と思うのがアンリアレイジです。

なんで服によって知性のレベルが違うのかなあと考えてみたのですが、アヴァンギャルドな服はどうやら見た目の情報が強すぎて「個性的」「即物的」といったイメージしか見る者に与えない、ということが原因であるように思います。

別の例で言えばアヴァンギャルドではないですがメチャ高そうな服に身を包んだ銀座マダムから知性を感じるかといえば決してそれはなくて。

ファッションから匂い立つ物語性とでも言うのでしょうか、そういう次元の情報を「個性的!」とか「金持ちっぽい!」といった強い情報が隠蔽してしまう。

ファーストインプレッションで得る情報が強すぎて、本当は教養深さと確固たる意思をもってアヴァンギャルド・ファッションに身を包んでいたとしてもファッションを知らぬ者からすれば「こじらせてんなあ」としか思ってもらえず細部に宿りし美にまで目を向けてはくれない。

現にGANRYUのサルエルジーンズもぼくのばあちゃんから「かーくんのオムツみたいなジーパン洗っておいたよ」と言われるレベルで上の写真で「GANRYU」の革パッチがふやけているのはばあちゃんに洗われたせいです。ババアめ!かわいいから許す!

POPEYE(とかのカルチャー寄り)の着こなしがもてはやされるのはきっと服だけじゃなくカルチャーも身にまとってる(ように見える)からだろうなあ。

サードウェーブ系男子的見せかけの知性。

流行り(?)の丸メガネも見せかけの知性だな!

御三家の内イッセイに手を出すのは初めてだったけど近未来っぽい素材使ってて個性的なのにどんな格好にもハマるし知性を感じさせてくれるのはなんなんでしょうね。

最高なのかな。

少なくともどんな格好にもハマるって性質が大きな要因であることは間違いない。

リアルクローズとオシャレの汽水域に知性は宿る。(と思われる)

栗野クライシスで挙げた栗野さんの着こなし、ああいうのが本物の知性なんだろうな…。

ということで来年のテーマは「知性を感じる着こなし」に決定しましたので確認よろしくお願いいたします。

というかこう見返してみると定番モノしか買ってねえ。

ニワカすぎ笑えない。 

来年はもっと冒険を!