トーキョー・アメリカナイズ

サードウェーブ系男子について読んだ。

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「サードウェーブ系男子」の特徴。

キャップ。

メガネ。

ノームコア。

ニューバランス

バックパック。

ぼくがこれらを聞いて真っ先に思い浮かべたのは、POPEYEが提案するシティボーイでした。

シティボーイにしたって、サードウェーブ系男子にしたって、結局のところ「雰囲気のオシャレ」です。

ライフスタイルやカルチャーにこだわりを持ち、そのこだわりから匂い立つ雰囲気をファッションとして身に纏うような、そんなオシャレ。

POPEYEの提案するシティボーイがサードウェーブ系男子disにかろうじて耐え得るのは、アメリカではなく東京発のカルチャーをバックボーンとして「東京のシティボーイ像」を作ろうと画策しているからではないでしょうか。

海外のまがい物ではない、確固たるカルチャーがそこにある安定感。

それでもシティボーイ像はまだ未完成なので、もっと洗練された概念にする必要もあるんでしょうけれど(メッチャ偉そう)

ぼく自身、大学初年度にはPOPEYEの提案するシティボーイに完全にやられ、「クッソ格好良いじゃん!これからはシティボーイの時代だ!」と、オリバーピープルズの丸眼鏡を掛けて滑れもしないペニーを片手に持ち、コンドームみたいなニットキャップ・白のポケットT・リジットデニムの三点セットで一丁上がり、なテンプレシティーボーイだった時期がありました。

完全にあの頃は何かをこじらせていた。

 

サードウェーブ系男子が揶揄される原因は、帰属カルチャーに深く傾倒しているのではなく、あくまでカルチャーをファッションとして消費しようとする魂胆が見え透いているからだと思います。

カルチャーを愛することなくファッションとして楽しんでいるそのスタンスは、とてつもなく浅い。

カフェでのドヤリングにしたってそう、コーヒーを純粋に楽しむのではなくて、まずコーヒーショップにいる自分にオシャレを見出しているから始末に負えない。

 

ブルーボトルコーヒーに出入りするような野郎どもに違和感を得ていた人々は、辛酸なめ子の卓越したネーミングセンスが産んだ「サードウェーブ系男子」という力強い響きを後ろ盾に、更なるdisを展開することでしょう。

一度「サードウェーブ系男子」とラベリングされてしまった以上、彼らの陳腐化は免れない。

言葉の力は強大なのです。

サードウェーブ系男子たち自身もどこかしら自分たちの「浅さ」には気付いているはずで、その浅さを痛烈に炙り出すこの言葉の広がりとともに、【雰囲気をファッションとして消費する形態】は徐々に沈静化に向かうのかもしれません。