塩ビ加工ショップバッグ

録画してた長門有希ちゃんの消失があまりに退屈だったので完全にキレた。

かといってハルヒ世代という矜持もあるし、なにより視聴マラソンの棄権は不敬であるとしておたくに断罪されかねないのでBGM代わりに聴き流しつつ、適当にブラウジングしていたらたまたま発見した記事。

情報は鮮度が命のこの時代に10日以上前の記事を取り上げるのは如何がなものか。

とりあえず、ギャルソンの塩ビ加工ショップバッグが売れているらしい。

www.fashionsnap.com

まあ売れるでしょうねとは思うけれどここまでコムデギャルソンのブランド性を前面に押し出した感じ、ギャルソニスタなみなさんなら鼻で笑って絶対買わんだろうな。

ぼくはミーハーなのでちょっと欲しくなりました。

こんな"分かりやすい"商品、ミーハー精神に完全クリティカルヒットするでしょ。

とはいえギャルソンを記号として消費する行為にはなんだか違和感がある。

日本を代表する、というか総合的に鑑みて日本一のブランドだとは思うけれど、伊勢丹が言うところの「インターナショナルクリエーターズ」クラスではブランド名の切り売りは背丈に合ってない感じがするし、なによりその商業主義の香りがギャルソン哲学から外れている感じがして鼻につく。

この「ギャルソン!!!!!!」を前面に押し出す感じ、CDGのコーチジャケットと相通ずるものを感じる。f:id:z61:20150517113318j:plain

GoodDesignShopに置いてる(置いてた)このジャケット、コレクションのときにコムデギャルソンのスタッフが着用していたとかいう逸話があるらしい。

このコーチジャケットに関しては、ぼくの大学に(自称)大学イチオシャレな知り合い(顔見知り)がいて、そいつがドヤ顔でこれ着てていたたまれない気持ちになった思い出しかないけれど、結局のところ何が言いたいのかといえば「ブランド名を売る」という今回のテーマに着地したいがためにエピソードトークをしてみたはいいが、どうもウマく収集がつかなそうなのでエイヤッと力づくで話を本筋に戻そう。

エイヤッ!

ブランドを記号として売ることの最もポピュラーな例はライセンス商品の展開であると思う。

場末のデパート、その婦人雑貨売り場に置いてるサンローランやらディオールのハンカチ、中高生が付けがちなヴィヴィアンなんかのバカみたいにゴツくてバカみたいにダサい時計、ああいったものがライセンス商品である。

あるブランドが他者に「自社ブランド名義の商品を売る権利」を売る。

その結果誕生するのがライセンス商品である。

とはいったもののこの定義はぼくなりの曲解である可能性が高いので詳しくはこちらで。

www.fashionsnap.com

なぜライセンス商品を展開するのか、ライセンス商品が増えれば増えるほどそれだけブランド価値が下がりそうなのに、とふつうなら思うけれど、ライセンス料はバカにならないからブランド側はやりたいし、ライセンス商品を売る側からすれば楽して商品が売れるからしめたもの。

完全なWinWinの関係が成り立っているからライセンス商品はセイタカアワダチソウのごとく蔓延していくってスンポーよ。

ブランドも資本主義という土俵で戦わなきゃいけない以上、第一義は「売り上げ」であり、オカネが何より大切。

だからこそファッションブランド各社は、ヒットすれば莫大なオカネが入ってくる金脈たる香水を発売したがるし、香水事業の失敗で斜陽となったブランドも数多くある。

ライセンス事業も「売り上げ」ということを考えたとき確実に必要なファクターであり、"分かりやすい"商品を売ることもまた必要なのだろう。

ギャルソンは、リーマンショック時にはブラックコムデギャルソンを立ち上げたり、"分かりやすい"ギャルソンの代名詞たるプレイも世界でバカ売れしていたりして、誰もがギャルソンを語る際に使う言葉だけど、本当に「ビジネスセンスが卓越している」と思う。

そのオカネでコレクションラインのクリエイションが維持できるってのもあるんだろうな。

今回の塩ビショップバッグの売り上げなんてプレイとブラックの売り上げと比べたら微々たるものだろうし、じゃあ結局のところ塩ビショップバッグが売り上げのためであるかどうかなんて分からんじゃん、って感じだけど、きっと小遣い稼ぎ程度には役立ってるんじゃない?(投げやり)

まあ、なんにせよ、この春夏、塩ビショップバッグを背負ったギャルソンミーハーたちが街中に大量発生することだけは、間違いないことである。